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戯曲賞には縁のない黒澤世莉です。写真一番左が趣向のオノマリコさんです。すげー昔の劇作家女子会。のときのお写真ですね。






ほかにも瀬戸山さん、長田さんがノミネートされていて、おめでとうございます。市原さん本田さん平塚さん山縣さんも、面識はないですがおめでとうございます。

さて。

岸田賞ノミネートが発表されると、こういう言葉を目にします。

「〇〇さんの受賞はコレじゃない気がする」

分かります。

とても良く分かります。

コレジャナイ感、半端ないですよね。

でも、仕方がないです。演劇賞というものの性質上「まさにこのタイミングでこの作品だよねええ」てのは、不可能とは言わないまでも、困難だと思います。

岸田戯曲賞の審査の仕組みを全て知っているわけではないですが、基本的には審査員または審査員補の推薦があって、審査員全員が作品を読むんだと思います。

多くの演劇賞も、似たような形で、ある作品がまず「候補の方として選ばれて」その中から候補として選別されます。

もちろん、TGRや佐藤佐吉賞のように、「この演劇祭に参加していれば」「この劇場で上演すれば」賞の候補になる、て場合は別です。でも、そういう「こちらが能動的にエントリーできる」賞というのはあまり多くない。

あ、戯曲賞の場合は、岸田賞みたいな形式は珍しいですよね。たいてい応募形式ですから。

まあ、そういうわけで、まずは審査員に見てもらう推薦までいかないといけない。この時点で結構無理ゲーです。だって「推薦しよう」て思ってもらった次が、またいい作品になるとは限らない。し、すごくいい作品を作っても、それが100や200の観客に理解してもらえるとは限らない。

99人がついていけなくても、演劇としては価値がある上演、ていうのは、この世界にいくらもあるのだともいます。そして、それが必要な人に届けられず、ふさわしい評価を得ることもなく消えていくこともまた多いのだと思います。

じゃあ、これは改善できるのかというと、おそらく不可能です。構造的に改善しようがない。100や200の観客を相手に、小さい空間で上演している演劇のなかで賞に値する作品を探すのは、砂漠に落ちた砂金を探すより難しい。

だから、そういうゴールドラッシュをめざす荒くれ者みたいな観客、というか推薦者補、みたいな存在はとても重要なんですよね。勝手に年に200も300も演劇を観て、できの良いものを評価の俎上に上げていく。

いまこれ、好事家だけがやってますけど、ほんとはもっと、公共のひともやったほうがいいんだろうな。

し、王子小劇場やこまばアゴラ劇場は、そういう金鉱の役割を果たしているので、とっても価値があるなあ、て思いますよ。もしドバイの石油王がこれを読んでいたら、各劇場に年間1億円寄付してあげてください。10年で日本の演劇界がひっくり返りますから。

というわけで「コレジャナイ感」と岸田賞は表裏です。たしかにその作品ではないかもしtれない。

でも、その人が作家を続けていく上で、その作品を生み出した、ということに価値があるのだと思います。作品そのものに対して出ている賞であってそれがコレジャナイ感漂ったとしても、大目に見てほしいなあと思います。

きっとまたもっといい本書いてくれますよ。

なんか、戯曲賞についてよく聞く文言を小耳に挟んで、思ったことを書きました。




____________________おしらせ____________________

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http://handsomebu.blog.jp/archives/52395341.html


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http://entre-news.jp/2016/12/35282.html