時間堂「森の別の場所」公演初日まであと5日である。出産を5日後に控えた妊婦の気分である、というと語弊があるだろうし、違う気がする。いまの正直な気持ちは、ワクワクするなあである。
IKEAで買ったランプシェード。3年を超える裸電球生活に終止符を打ちました。
劇団は他人の集まりである。他人同士が集まるというのは、つまり衝突するということである。真剣に物事に取り組めば、価値観のズレは必ず起こるので、衝突するのが普通であり健康なことだ。
でまあ、衝突の仕方というのが問題なんだと思う。かげでこそこそ喋ったり、ビール片手に本人不在でブツブツ言ったりするのは、実に日本人的だけど私は嫌いだ。思ってることがありゃ言やいいんだ。
とはいえ、思っていることを言うというのは、意外と難しい。日本人は話し合いに慣れていないというけど、そういう次元の問題なのかな、と思う。外国人なら対話が達者かって言うとそうでもないでしょ。少なくとも、私が出会ってきた中で、対話が達者な日本人も、対話が苦手な外国人もいる。自己主張と対話は違うしね、自己主張の激しい人だから対話が上手かっていったらそんなこともないわけで。だからこれは、国籍問題や人種問題ではなく、もっと人間というもの一般の問題だと思う。
対話は居酒屋の愚痴トークでもないし、奥方の昼下がりトークでもない。自分と他人の違いを認め、その上で共に生きていくためのすり合わせだと思う。同じ価値観で異なる価値観を攻撃するのは対話じゃない。価値観の違う人間同士が衝突を繰り返しながら、致命的な大失敗にならないように物事を進めていくことだ。
なにか共同での作業、それは仕事でも過程でも子育てでも趣味でもなんでもいいんだけど、他人とは絶対に理解し合えない、と私は思う。「人の気持ちを考えて」というのは日本語でよく聞く言い回しだが、こういう言葉を選ぶ人が本当に「人の気持ちを考えて」行動しているかというと、自己保身に走っているケースが多いように思う。これは分からないから諦めろではなく、分からないからそれを認識し、承認することが重要なんだと言いたい。
たんに気分を言うだけのことは、具体的な解決策がなくて嫌だ、という意見も聞くが、またそう自分も思うことがあるが、自己保身の言い逃れではなく、自分の感じたことを率直に語る言葉は、対話にとっては非常に重要である。それはひとつに、チームメイトに対してあなたという人間を明確に伝えられるからである。あなたが気を使ってからにこもっている限り、最大のパフォーマンスが発揮できることはそうない。もう一つ、自分の言葉でシンプルに語ると、コップの水を空にするように、新しい発送や気分が芽生えるからだ。
例えば、今日の振り返りの時間で「ツカレタ」といった俳優は、それは言ったあと他の俳優のからの刺激と自分の心の変化によって、言う前より疲れに言い訳せず稽古に集中することが出来た。このことは、チーム全体にとって結局プラスに働いたと思う。
会議ばかりしている会社はダメだ、というのは本当だと思う。ただ、実務ばかりで話し合いの場がない会社もダメだと思う。要はバランスの問題だが、最適解は存在しない、その都度気分を悪くしながら、修正していくしかない。最初に言ったとおり、地球上の我々人間はそれぞれ別人であり、考え方も別ならば相手の気持も理解できないの。自分の望むものは相手にとっては無駄なものかもしれない。それでも、語ることによって「違う」ということは理解できるし、「違う人間がいる」ということを経験できる。「違う人間」で組まれたチームのほうが、より強いチームになる。たとえば、小規模でまとまったプレーしかないサッカーチームより、全員の個性がバラバラな方が面白いサッカーをする。それをまとめる監督は大変だけどね。
風通しの悪い部屋にカビが生えるように、風通しの悪い集団は内部に汚れがたまっていく。そういうグループは内向きになって、外に向かって広がっていく仕事はできない。なぜなら、ひとつの価値観に偏ったものしか認められなくなるからだ。関係に安心を求めては、精度の高い仕事はできない。仲がいいこと大いに結構、仲がいいならどんどん率直な意見をぶつけあって成長すればいい。
だから対話することや、あきらめず話すことはとても重要。少し勇気はいるけれど。あなたが話しかけないと何も変わらないし、我慢していたところでひずみは大きくなることはあっても解消はされない。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう。
というわけで毎日エキサイティング・パな稽古をしております。今日のラスト公開稽古も楽しみだ。
初日にこの作品の誕生を祝福しに来てほしいわ。
公演情報はこちら
http://blog.livedoor.jp/handsomebu/archives/52229735.html
ご予約はこちら。
http://www.quartet-online.net/ticket/moribetsu2013?m=0achddf
IKEAで買ったランプシェード。3年を超える裸電球生活に終止符を打ちました。
劇団は他人の集まりである。他人同士が集まるというのは、つまり衝突するということである。真剣に物事に取り組めば、価値観のズレは必ず起こるので、衝突するのが普通であり健康なことだ。
でまあ、衝突の仕方というのが問題なんだと思う。かげでこそこそ喋ったり、ビール片手に本人不在でブツブツ言ったりするのは、実に日本人的だけど私は嫌いだ。思ってることがありゃ言やいいんだ。
とはいえ、思っていることを言うというのは、意外と難しい。日本人は話し合いに慣れていないというけど、そういう次元の問題なのかな、と思う。外国人なら対話が達者かって言うとそうでもないでしょ。少なくとも、私が出会ってきた中で、対話が達者な日本人も、対話が苦手な外国人もいる。自己主張と対話は違うしね、自己主張の激しい人だから対話が上手かっていったらそんなこともないわけで。だからこれは、国籍問題や人種問題ではなく、もっと人間というもの一般の問題だと思う。
対話は居酒屋の愚痴トークでもないし、奥方の昼下がりトークでもない。自分と他人の違いを認め、その上で共に生きていくためのすり合わせだと思う。同じ価値観で異なる価値観を攻撃するのは対話じゃない。価値観の違う人間同士が衝突を繰り返しながら、致命的な大失敗にならないように物事を進めていくことだ。
なにか共同での作業、それは仕事でも過程でも子育てでも趣味でもなんでもいいんだけど、他人とは絶対に理解し合えない、と私は思う。「人の気持ちを考えて」というのは日本語でよく聞く言い回しだが、こういう言葉を選ぶ人が本当に「人の気持ちを考えて」行動しているかというと、自己保身に走っているケースが多いように思う。これは分からないから諦めろではなく、分からないからそれを認識し、承認することが重要なんだと言いたい。
たんに気分を言うだけのことは、具体的な解決策がなくて嫌だ、という意見も聞くが、またそう自分も思うことがあるが、自己保身の言い逃れではなく、自分の感じたことを率直に語る言葉は、対話にとっては非常に重要である。それはひとつに、チームメイトに対してあなたという人間を明確に伝えられるからである。あなたが気を使ってからにこもっている限り、最大のパフォーマンスが発揮できることはそうない。もう一つ、自分の言葉でシンプルに語ると、コップの水を空にするように、新しい発送や気分が芽生えるからだ。
例えば、今日の振り返りの時間で「ツカレタ」といった俳優は、それは言ったあと他の俳優のからの刺激と自分の心の変化によって、言う前より疲れに言い訳せず稽古に集中することが出来た。このことは、チーム全体にとって結局プラスに働いたと思う。
会議ばかりしている会社はダメだ、というのは本当だと思う。ただ、実務ばかりで話し合いの場がない会社もダメだと思う。要はバランスの問題だが、最適解は存在しない、その都度気分を悪くしながら、修正していくしかない。最初に言ったとおり、地球上の我々人間はそれぞれ別人であり、考え方も別ならば相手の気持も理解できないの。自分の望むものは相手にとっては無駄なものかもしれない。それでも、語ることによって「違う」ということは理解できるし、「違う人間がいる」ということを経験できる。「違う人間」で組まれたチームのほうが、より強いチームになる。たとえば、小規模でまとまったプレーしかないサッカーチームより、全員の個性がバラバラな方が面白いサッカーをする。それをまとめる監督は大変だけどね。
風通しの悪い部屋にカビが生えるように、風通しの悪い集団は内部に汚れがたまっていく。そういうグループは内向きになって、外に向かって広がっていく仕事はできない。なぜなら、ひとつの価値観に偏ったものしか認められなくなるからだ。関係に安心を求めては、精度の高い仕事はできない。仲がいいこと大いに結構、仲がいいならどんどん率直な意見をぶつけあって成長すればいい。
だから対話することや、あきらめず話すことはとても重要。少し勇気はいるけれど。あなたが話しかけないと何も変わらないし、我慢していたところでひずみは大きくなることはあっても解消はされない。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう。
というわけで毎日エキサイティング・パな稽古をしております。今日のラスト公開稽古も楽しみだ。
初日にこの作品の誕生を祝福しに来てほしいわ。
公演情報はこちら
http://blog.livedoor.jp/handsomebu/archives/52229735.html
ご予約はこちら。
http://www.quartet-online.net/ticket/moribetsu2013?m=0achddf