2011年3月11日の東北大震災からまる二年が経ちました。節目という言葉がある通り、なにかの区切りというのはあっていいと思います。復興活動や復興支援は日常的な行為こそ価値がある、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、書きますよ私は。震災から3年目に思うこと。

結論から書くと、
世界中に友だちをつくろう
と思いますし、おすすめします。

そんなに難しいことじゃないです。
ちょっとお金をためて、一人旅とかすれば、すぐできます。
趣味がある人は、趣味に絡めて旅をすればいいでしょう。きっといい出会いがあります。

2011年3月11日と2013年3月11日の、私にとっての一番の違いは、具体的な友だちの顔がどれくらい浮かぶかってとこです。
2011年には、盛岡と福島に住んでいる友だちのことしか考えられなくて、あとはぼんやりとした「みなさん大変だなあ、ご無事だといいなあ」との思いがありました。
2013年の今は、宮城や福島で出会った友だちの、ご家族とか、お友だちとかのことを思いました。そこには名前と顔がありました。そして、具体的な方がより、強く思えるものだと思います。

もし被災地に行ったことがなかったら、ほんとに何気なく、観光気分で行ってみたらいいと思います。一人でふらふらしてたら、絶対何か出会いがあります、約束します。そして帰ってきてから、顔と名前の分かる人がいる場所のことを、身近に感じるようになります。
例えば私は、九州に友だちがいなかったわけですが、去年福岡や枝光に行ったことで、昨夏の大分の洪水について思いを馳せました。福岡と大分は全然遠いですし、思いを馳せたからなんだって話かもしれませんが、でも、もし九州に行ったことがなかったら、私は多分、大分の洪水になんか気にも止めなかったと思うんですよね。でも、今は九州に友だちがいて、そうするとやっぱり気になる。覚えようとしなくても勝手に覚えてしまう。
その、意識しようとしなくても、自然と考えちゃう、ていう状態にしてくれるのが、友だちをつくることだと思うんです。

いまは北に被災地があり、私が生まれ育った東京は支援する立場ですけど、それはいまたまたまそうなっているだけで、明日関東大震災が起きたら、私たちは支援される側になるわけです。被災者/支援者の立場なんて、あっというまにひっくり返るものだと思います。
支援して欲しいから友だちをつくるわけではないけれど、きっと、ゆるやかに手をつなげる関係が日本中にあったほうが、お互い得だと思います。神戸でのノウハウが東北に役立った、みたいなことが、きっとこれからどんどん起きると思うんです。

今年のはじめにイランに行って、イラン人ていうものに親しみが増しました。いまもうイラン人ていうだけでウェルカムな気持ちです、それくらいいい出会いが多かった、もちろん嫌なこともありましたけど、基本的にはほんとうに旅人に対して寛容を通り越して世話好きな民族です。

核実験とか、人権侵害とか、国境紛争とか、いろいろあるかと思いますが、いや、実際あって話をしてみたほうがいいですよ。話したことないのにイラン人が怖いとか酷いとか決めつけるのはどうかと思います。

で、これはイラン人だけじゃなくて、韓国人や中国人もそうだと思うんですね。
で、もっと言えば、反原発とか、そういうところもそうだと思うんですよ。いま、原発反対の人と、原発容認の人って、お互いディスってるというか、相手をバカだと思ってるフシがあるというか、考えが違う相手の話を聞いてない感じがするんですが、いやいや、違うだろうと。対話の道を閉じてどうするんだと、私は思うわけですよ。

だから、考え方が違うひととも、友だちになってですね、きちんと対話をした方がいいと思うわけです。「自分絶対正しい、相手はバカだから分からない」て思ったら、ほんと、その時点で負けですよ、何に対して負けかというと、人間として負けです。

まあ、そういうわけで、とにかく、世界中に友だちをつくるぞと、そういう気持ちで生きてみるのがいいんじゃないかと、そう思うわけです。難しくないです。

いろんなところに行って、たくさん見て、たくさん聞いて、少しを話せばいい。そんなに世界中を回らなくても、隣の町でも、駅でも、県でも、島でも、隣の家でもいいかもしれない。今自分がいるところから少しはみ出してみる。

私はそんなことが、世界を救うと思います。