人は蟻だ。

西新宿の東京都庁は遅い時間まで無料で展望台に登ることができる。悪趣味な土産物屋からどうでもいい機械音が流れている。中国人韓国人インド人ロシア人そのほかが跋扈している。

人は蟻だ、思う私を蟻だ、と見下ろしている人がいる。
蟻だと思われている人も、より小さい人を蟻だと見下ろしている。

その連鎖はとぎれることなく続いて、それも両端の分かれたひもではなく、結びついた円になっている。

都庁の膝元には人が行き来しない植え込みがあって、セックスをする。性行の快楽は刹那的であり、事前の熱狂と事後の退屈を含めて、それ自体が精巧な人生の縮図だ。セックスと食事は人生をもっとも圧縮した状態で提示する。

蟻である私はせっせと食事をし、性交し、死ぬ。そこに意味はなく、よって喜びや悲しみもない、ただ快楽と痛みがあるだけで、そして快楽と痛みがくるくると輪になって繋がったものが人生である。

蟻も生きている。私は嫌々ながら、生まれてしまった義務として、見下しながら見下されながらそれをまっとうする。

私も蟻だ。