はじまりのはじまり、とか、
はじまりのおわり、とか、
おわりのはじまり、とか、
おわりのおわり、とかあるけども、
はじまるまえに、おわり。
****
平仮名ばっかりだと読みづらい。
でも漢字使うと意味が限定されすぎちゃって、つまんない。
****
自分の身に起こった望まない出来事を、あきらめて流されるしまうことがある。
私は、望まない出来事を、受け入れて選択し、乗り越えていきたい。
あきらめて流され続けると、「負け癖」がついてしまって、あんま楽しそうじゃないんだよね。しんどいことも受け入れる。苦しくてもダメそうでもやってみる。失敗したら良い経験だったと納得する。一通り泣いて、泣き疲れたら笑ってみる。
なんか不幸癖というか「私ってこういう星の下に産まれたから仕方ないのよね、耐えなきゃヨヨヨ」みたいなのが気持ち悪いってこと。悲劇のヒーローヒロイン傾向って多くって、辟易、へきえき。これはつまり、出来事に対してきちんと向き合っていないと思うのね。想像力を放棄している。自分を幸せにする義務を怠り、安易な大人ぶった感覚に安寧としている。とかく不幸は甘美なもので、その感覚は一時的には媚薬になるけど中毒を起こすまで味わっちゃ、人生がやせるよ。注意注意。
受け入れがたいことが起きたときに、駄々こねろって言ってんじゃないですよ。受け入れ方の問題です。重要なのは、結果がどうだったのかではなく、結果をどう受け取るか、ではないかしら。自分が主体的に引き寄せたものだと受け取るか、他者からおしつけられたと受け取るか、なんじゃないかしら。
何が起きても自分以外のせいにしちゃうことと、あきらめてしまうことは、全然違うようでいて、とても似ている。
出来事と向かい合うことは、勇気がいる。今の自分と未来の自分に対して、幸福にする責任を負うのは、時としてあきらめるより苦しい。だけど、私がなりたいのは、「格好良いじいさん」であって、それは「ちゃんと生きつづける」ことでしかなれないし、そうしていれば必ずなれるんだろう、と思う。
仮面に張り付いた作り笑いではなく、自然とニコニコできる大人になりたいです。
はじまりのおわり、とか、
おわりのはじまり、とか、
おわりのおわり、とかあるけども、
はじまるまえに、おわり。
****
平仮名ばっかりだと読みづらい。
でも漢字使うと意味が限定されすぎちゃって、つまんない。
****
自分の身に起こった望まない出来事を、あきらめて流されるしまうことがある。
私は、望まない出来事を、受け入れて選択し、乗り越えていきたい。
あきらめて流され続けると、「負け癖」がついてしまって、あんま楽しそうじゃないんだよね。しんどいことも受け入れる。苦しくてもダメそうでもやってみる。失敗したら良い経験だったと納得する。一通り泣いて、泣き疲れたら笑ってみる。
なんか不幸癖というか「私ってこういう星の下に産まれたから仕方ないのよね、耐えなきゃヨヨヨ」みたいなのが気持ち悪いってこと。悲劇のヒーローヒロイン傾向って多くって、辟易、へきえき。これはつまり、出来事に対してきちんと向き合っていないと思うのね。想像力を放棄している。自分を幸せにする義務を怠り、安易な大人ぶった感覚に安寧としている。とかく不幸は甘美なもので、その感覚は一時的には媚薬になるけど中毒を起こすまで味わっちゃ、人生がやせるよ。注意注意。
受け入れがたいことが起きたときに、駄々こねろって言ってんじゃないですよ。受け入れ方の問題です。重要なのは、結果がどうだったのかではなく、結果をどう受け取るか、ではないかしら。自分が主体的に引き寄せたものだと受け取るか、他者からおしつけられたと受け取るか、なんじゃないかしら。
何が起きても自分以外のせいにしちゃうことと、あきらめてしまうことは、全然違うようでいて、とても似ている。
出来事と向かい合うことは、勇気がいる。今の自分と未来の自分に対して、幸福にする責任を負うのは、時としてあきらめるより苦しい。だけど、私がなりたいのは、「格好良いじいさん」であって、それは「ちゃんと生きつづける」ことでしかなれないし、そうしていれば必ずなれるんだろう、と思う。
仮面に張り付いた作り笑いではなく、自然とニコニコできる大人になりたいです。