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Amazonの段ボール箱をアピールする川本さんと黒澤世莉です。写真は本文と関係ありません。

演出家という仕事柄、何かを書いてくれと頼まれることが多い。し、毎日このブログを更新しているように、頼まれもしないものも色々と書いている。書くことは好きなんだと思う。上手いかどうかは別として。

話ずれるけど、書く以外のことは、控えめに言ってほんとてんでダメです。音楽。運動。お絵かき。パソコン使った作業はまあ出来ないことはないですが、手や体を使った作業はほんとてんでダメですね。

だから、演出家になりたいあなた。手先のあらゆることが徹底的に不器用な私でも、演出家になれるんです。苦手なことがあっても諦めないでください。

閑話休題。

わたしは自分ではリベラルな気でいます。自由が好きだし、差別は嫌いです。性別、人種、セクシャリティ、生まれた地域や地位、国籍、年齢、職業、そういう「自分ではコントロール出来ないこと」において、人間は公平であるべきだと思っています。

でも、一方で、わたしは「実力や才能では、人間は差別していい」と考えていました。それは例えば、顔がいいとか悪いとか、スタイルがいいとか悪いとか、オシャレかダサいかとか、そういう「数値化出来ない個人の個性に属する部分」がそうです。

また、勉強のできるできないや、運動神経の良し悪しでも、差別していいと思っていました。もちろん、演劇的な努力も含みます。「創意工夫や努力で向上しうる部分」は差別されてしかるべきだ、と考えていたのです。

みなさんはどう思いますか?

「いやいや女性は男性より優れてるでしょ」とか「日本人は〇〇人より優れてる」みたいなひとは、そもそもちょっとお話するのが難しいので、この先は読まずに http://www.yahoo.co.jp に行ってください。

さて。

こんなことを書くからには、考えが変わってきたってことなんですけど。

たとえ、それが個性として自分の好みに合わなかったり、その場で求める実力に足りていない、ような状況であっても、それを差別してはいけないなあ、て思うようになってます。

これ説明難しいんですよね、自分でもうまく整理できてないので。

ただ、なんだろ。「罪を憎んで人を憎まず」みたいなこととか、「たとえ実力が少々足りないように思えても、個性の違う人物がいたほうが、潜在的リスクに対して多様性で対抗できるので、組織としての持続可能性は上がる」みたいなことに、近いんですけど。

誰かを排除するとか、どんな理由があれ、たとえ尊敬できない人格であっても、無為に罵倒するとか。そういうの、自分が損するんじゃないかなあ、て思ってます。

こういうこと書くと「また正しいことを、窮屈なやつだな」とか思われるかもしれませんが、なにもマザーテレサろうって話じゃないんスよ。人間博愛なんてなかなか無理。ちょいワルが好まれますからね、いつの時代も。正論によっちゃう自分が呪わしいわ。

でも、単純に、顔とか能力でひとを差別すんのは結構自分が損すんな、て思った、て感じ。わたしがそもそもそういうオレが劣ってるなーって思っちゃった人たちに興味や関心持てない、ていう根本的な要素があって、それ自体は解決されてないんですけど。

実は、今満たされないとか、上手くいってない問題があるとして、実はそういう「努力不足という名の差別主義」が、問題になってるんじゃないかな、私の場合は。て思っています。

ま、私に言わせりゃ日本のリベラルの半分はファシストなんで、そういうひねくれた考えをしちゃう根本は、なかなか直らない、し、直す必要もないかー、て開き直ってる部分も、あるんですけどねえ。

あー、普通が分からん。




____________________おしらせ____________________

●演出作品 Plays
花束で抱きしめるような体験を、あなたのために
時間堂 最終公演 『ローザ』 [12/21~30] at 十色庵 [赤羽]
http://handsomebu.blog.jp/archives/52381543.html


【ご利用受付中】静謐な演劇空間「toiroan 十色庵」
http://toiroan.tumblr.com/


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