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あんまりしない黒澤世莉です。写真は座・高円寺の天井。好き。いい劇場だよね。

異性を挑発みたいな話じゃないです。演劇的な挑発です。それも「なんじゃそら」て話ですけどね。

なぜそんなことを考えるに至ったのかというと、『ゾーヤ・ペーリツのアパート』作家のブルガーコフが、そういうことを求めてそうだな〜って思うんですね。作家がと言うか『ゾーヤ・ペーリツのアパート』という作品が挑発を求めてる気がしています。

わたし、台本の要求を探すんです。そこから演出組み立てるんです。シンプルな俳優の居方と関係および台本の要求が、私の演出の二つの核ですね。だから、台本の要求によって、毎回演出の方針が変わる部分があり、それが毎回の違いになる感じです。

普通の

で、今回は挑発になるわけねー。いや、まだ分かりませんが、挑発がヒントになるかなって。

『ゾーヤ・ペーリツのアパート』は三幕の台本です。ブルガーコフが最初にこの台本を書いたときは四幕ものでした。ブルガーコフの意図が、検閲やクライアントの要望で歪められたんです。

そういうことを演出に取り込めたら、一段階おもしろレベルをあげられるんじゃないかな―、て考えています。

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夜の番人、雑司が谷警備隊。

それで、演劇的な挑発に関して考えています。

挑発が安易なのはヤだなって思ってます。歌って踊って最後は脱ぐて良く書いてますが、たとえば脱ぐのは挑発じゃないと思うんですよね。それを挑発的に感じる方はいらっしゃるかもしれませんが、それ自体は挑発じゃない。

いわゆる挑発的な演出、はしたくないなーって思います。アバンギャルドっていうか。例えば、舞台上が無人とか、爆音でセリフが聞こえないとか。そういう演出そのものを批判するわけじゃなくて、そういうことを安直に選択したくないっていう意味です。

本質的に挑発したい。

それは、どういうことなんだろう、て考えている。

このブログでも何回も書いていますが、ピーター・ブルックは「演劇とは、観客が俳優をみていることだ」みたいなこと言ってます。挑発するっていうことは、この根本構造をゆるがすってことなんだよなー、て思ってます。

で、それって具体的にはどうするねん、てことですよ。脱ぐとか、爆音とか、客電つけるとか、そういうことじゃないだろう、て気はするんですが、じゃあなんだろうなー。

なんだろう。逆転したらいいんだよな。革命が起きればいいんだよな。劇場内で。観るものと演るものの関係がひっくり返ったらいいんだよな。いやいや、どうやって?

演出家っていうのは、日々こんなことばっかり考えている変態です。

____________________おしらせ____________________

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【演出します】2016年の時間堂は7月の本公演とレパートリーシアターの【12ヶ月連続上演】

時間堂レパートリーシアター
6月17日(金)18日(土)『玄朴と長英』他
at 十色庵

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【次回本公演】「ゾーヤ・ペーリツのアパート」
2016年7月29日(金)〜31日(日) 東京芸術劇場シアターウエスト
http://jikando.com/nextstage/534-zoykasapartment2016.html
【ご利用受付中】静謐な演劇空間「toiroan 十色庵」
http://toiroan.tumblr.com/


【ワークショップ情報】6月
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