結論から書くと、私の提案は以下のとおり。

今後ヘイトスピーチのことは
「珍言」
ヘイトスピーチで行動するデモなどの集まりを
「珍言祭」
と表現してはいかがだろうか。ヘイトスピーカー単体だったら、とりあえず「珍言さん」などと呼んであげたらいいかと思う。

基本的にネット上で知性の不調をきたしている人を見かけても、華麗にスルーするのがいいと思っている。相手にしても面倒なだけだし、相手にするだけ調子に乗ると思うから。現実での面識がある人に限って、対話の可能性を信じて何かを言う選択をする。

ただ、この記事を読んで、こりゃ私ごときでも何か発信しとかなきゃいかんかなと思わされた。

ネット弁慶が街中に現れた理由
小田嶋 隆
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130221/244049/
 誰もが判断を誤らずに、あらゆる言論人が排外主義をスルーし、すべてのメディアがデモを問題にせずにいれば、ヘイトスピーカーはますます勢いを得る。というよりも、彼らは、当面の狙いである、「めんどうくさいことを嫌う会社員の人たちを黙らせる」戦いにおいて、勝利をおさめつつある。

いやまさか、ヘイトスピーチをするような人が現実で力を持ちかねない、なんて危機感を感じるにいたるとは思わなかったよ。

ヘイトスピーチってなーに、という方はこちらを読んでね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81
ヘイトスピーチ(憎悪発言、英: hate speech)は、個人や集団をその人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、性的指向、性自認、障害、職業、社会的地位・経済レベル、外見などを理由に貶めたり、暴力や誹謗中傷、差別的行為を煽動したりするような言動のことである。

早い話が、たちの悪い悪口ですよ、自分の努力ではどうにも出来ないことを狙って悪く言うたぐいの。

私がわざわざブログでみんなに伝えたいことは1つだけ。
私はありとあらゆる不寛容について断固抗議する。

ヘイトスピーチなんて不寛容の最たるもんだよ。
だいたい、ヘイトスピーチって単語が、なんかもう、ちょっとかっこいい。
かっこよさげに見える横文字使うから調子に乗るんじゃないの。珍言とか残念口とか、もっと本質を捉えた表現をしてあげよう。

というわけで、冒頭の提案に至るわけだ。

私は、自分がいままで出会ってきた外国人の友人たち、訪れた土地でもてなしをしてくれた民族のひとびとに対して、珍言を発することを許さない。
死ねとか殺せとかいう言葉を他者にむけて暴力的に使うことを許さない。
もともとスレスレのユーモア、っていうかエスプリとか悪い冗談が好きな人間だから、死ねとか殺せとか、文脈によっては使いたいのである。ところが珍言さんのご無体な暴力のために、良い感じの悪い冗談まで規制対象にされては、いい迷惑である。

表現の自由は他者の自由を侵害しない限りにおいて保証されるべきだが、他者に身の危険を感じさせる域に達している珍言は、取締対象にすべき。珍言祭も然り。そもそも団体行動は強い権力に対して、弱者たる個人が連帯して抵抗する手段であり、弱い個人相手に団体行動をとる珍言祭は、たんに恥ずかしい犯罪行為だ。

日本人にかぎらず、世界のあらゆる地域で、あらゆるひとの発する珍言を心から軽蔑する。自分の目の前に珍言を発する人がいたら、珍言の発想を変えてもらえるよう働きかける努力をする。

いままで家にこもりきりだった人が、なにか運動の対象を見つけて行動を起こす。その行動を楽しく思う、行動に関わる連帯に歓びを感じる。それ自体は否定しないし、悪いことだとも思わない。じゃんじゃんやればいい。ただ、非難を自分より力弱いものに向けないでほしい。自分の劣等感や敗北感をこそ分析して、より相応しい対立の対象を見つけてほしい。

運動によって孤独を癒すひとが多いんだと思う。これは珍言祭だけではなくて、カルトでもそうだし、もっと一般的な社会活動、ボランティアでもスポーツでもアートでも起こってることだと思う。それがいいことか悪いことかは、私にはわからない。ただ、人間は誰でも、孤独を癒すために、承認欲求を満たすために、自分の所属する集団に多かれ少なかれ依存している。それ自体は知っておいたほうがいいと思う。その集団のがんばりが社会に適合する方向に行けば褒められるし、社会に不適合な方向に行けば取り締まられるわけだ。

一個、社会不適合になりがちな集団の特徴を上げるとすると、すごく簡単に世の中を割り切れる真理なんかがある、ていうところはだいたい怪しいと思っていい。「○○人は劣等民族だ」とか「○○を信じれば救われる」とかね。まあ全部じゃないですが。そんな簡単に世の中割り切れる真理なんかねえよ。

単純に、もっといろんな人と関わればいいのになー、珍言さん。いい○○人とか、いい○○国とか、ぜったい出会えるのに。もったいないしかわいそうだよ。

問題は珍言を発する人はこんなブログ読まないであろうということなんだが、それでも珍言に心を痛めている人がいるとして、そんな残念な人間ばかりではないですよと発信することには意味があると信じて、この文章をアップするものである。