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この日、私は大事なことを学んだ。
自分を憐れんでいるうちは、不幸がまだ耐えられる程度なのだ。
この限界を超えた不幸をやりすごすには、笑うしかないのだ。

イラン革命の混乱に翻弄される、上流階級のイランの少女を描いた自伝的コミックス「ペルセポリス」は、大変面白いのでオススメです。その2巻の一節。

日本では毎年3万人が自殺する。
紛争地域では自殺者っていうのは基本的にすごく少ない。
人間は、死の危険が間近にあると、わざわざ自ら死を選んだりしないらしい。
このパラドックスを解決する鍵は、この言葉にあるのかなー、とか思ったよ。

笑いについて。
子供の頃から笑いについての興味が薄かった。ギャグ漫画は好きじゃなかったし、ビートたけしやダウンタウンに夢中な周囲を余所目に、テレビから離れていった。お笑いが嫌いだったわけではないんだけど、物語とか、歴史とかのほうが面白く感じた。

30になったかならないかくらいの頃に、どうにもならない他人との関係において、暗澹たる沈黙が続くような時があって、この解決できない痛みを抱えた人には、笑わせることが一番助けになるんだろうなと思うに至った。だが、私には人を笑わせるという機能がない。お笑いに関心がなかったからね。そこで途方に暮れた。それまで、思い沈黙には耐え忍んで思索を進めるしか無いと思っていたが、いくら考えたって解決策なんかでない理不尽な状況なんていくらでもある、てか世界はそもそも理不尽である、てことに気づいたんだろうね。

楽しい人や間の抜けた人と一緒にいるときに、バカなことを言ったり突っ込んだりして楽しくすることは出来るけど、私の悪い癖で人をバカにするというか、冗談交じりでも見下した態度で面白くしがちなので、あんまりタチのいい笑いじゃないなと思う。さらに、私にとっては一人で他人を笑わせるのは難しい。結局、いまだに笑いに関心が高まったわけではないし、書物でも演劇でも笑いを研究しようという気は起こらない。

ただ、他人を笑わせる人にたいしての敬意は高まった。それに、タチのいい笑いを繰り出せるひとは、頭がいいだけではなく他者に対する敬意もあるひとだと思うようになった。

たとえば、正しいことを言う時に、頭ごなしに言ったらどうなるだろう。間違っている相手はたいてい自分が悪いと自覚しているので、悪いことを頭ごなしに言われるとアタマに来てしまうものだ。
「勉強しなさい」
「いまやろうと思ってたのに、もうやる気無くした」

みたいなことである。「図星を指されると怒る」バイ川原泉である。

なので、正論を言う時ほど、それが相手にとって聞き入れ難いものであればあるほど、笑いの感覚を持って話せる方が、お互い得するだろうなと思う。また、解決策の見えない状況であればあるほど、真剣に考えることより、気分を和らげるほうが重要な場面も増えると思う。

人生は、解決できない問題を抱える場面の連続なのだから。