「ローザ」東京公演が終わってから半月、何をやっているのかというと、演劇学校系で働いてます。ENBUゼミのマイズナークラスは、あと2日4コマの佳境。前回受講者が見学に来てくれたりして、そういうのはうれしいね。時間堂では演技:オープンクラスをやって、中級クラスをやってて、とても充実した時間を過ごした。このあと静岡6/16津6/19仙台6/22大阪6/25~27福岡6/28の順に回るけど、これもどんなクラスになるのか楽しみ。

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タフな話し合いがあった。必要だと思ったからやって、いまはやって良かったと思う。まだ結果は出てないから、そのうち分かるだろう。

タフな話し合いには大失敗の思い出もあるから、そうならなくて良かった。同じ失敗を繰り返したくない。繰り返したらは失敗を本当には理解してなくて、その要因を変えてないってことだから。

話してすっきりしたい、というのは単なるエゴで、でもモノづくりをするアーティストなんだから、モノづくりについてとか、モノをつくる姿勢については忌憚なくやりとりするほうが、結局作品に献身することになると思うんだな。

考え方は違う。それはいい。違いを提出しあい、磨き合うことが、その過程が作品の奥行きとか深度になる、と思う。面倒だけど面倒を見ないふりすると肝心なところで踏ん張りが効かない。そんなのやだ。でも大失敗もしたくない。ので、なんだ、あれだ、つかれたよ。

こんなことを考えたよ。

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夢があるとする。
夢を叶えるためには、いまいる場所でベストを尽くせ、という話を書く。

夢を叶えるためには、いまより競争の激しい場所で競争をすることになる。いまここで一番になれないのに、夢の場所ならなら成功できる、というのは発想が甘い。「○○は自分の夢だからがんばれる」というのは、論理的には難しいと思う。

「この場所は自分の場所ではないかも」という不安感は誰にでもある。「どこかに自分の頑張れる場所があるんだ」「子供の頃の夢だから」などなども、これと似た発想。だけど、「自分の場所」を探し続ける限り、それは見つからないのではなかろうか。「自分の場所」は探すものではなく、覚悟して決めるものだと思う。
この場所で得られないものは、他の場所でも得られない。そういう理由で活動の拠点を移すひとは、違う場所でも同じパターンに陥る。

自分を変えるためには「過ごす場所」「付き合う人」「時間の使い方」の3つ以外の方法は無い、一番無意味なのは決意を新たにすることだ、と言った人がいる。これが本当だとして、新しい環境を選んだとき、そこに最低3年はいないと、有意な経験値は得られないと思う。3年いたって、先ほどのマインドセットが変えられるかはあやしいものだ。だが1年ではほぼ間違いなく変えられない。

そのマインドセットは、職業倫理とかプロフェッショナリズムと呼ばれるものなんだろう。逆に言えば、それがある人はマックのバイトでも治験でも、自分のキャリアに有意な経験が蓄積できるのだろう。

俳優というのは、作品ではなく演劇そのものあるいは映画そのものを深く愛していないと出来ない、というか、やっても一流になれないと思う。売れっ子になって作品を選び放題、なんていうのは100人にも満たない人で、何十万人の俳優が来た仕事を選ばず俳優活動を続けていくんだと思う。その大多数のなかから100人の売れっ子になる人は、実力と運が兼ね備わっている人だけだと思う。そういうひとは、自分の役の大小、作品の良し悪し、関わる人の好き嫌い、を越えて、演劇や映像に対する愛があるから、人一倍考え、努力をし、その結果として作品に貢献し、いい俳優だと評価されるんだと思う。その結果として売れっ子になるか、売れっ子になるために必要な実力を手に入れるんだと思う。

多くの自称俳優に欠けているのは、この演劇愛や映像愛みたいなものではないかしら。いまいる場所を出て夢を目指せば、演劇映像愛が発揮されるという論理はあんまり成立しない気がする。今いる場所でがんばることが、そのなんとか愛を持つことにつながるかは分からない。しかし、今いる場所に信頼出来る仲間がいる場合に限り、問題を「環境の変化」で解決しようとするより「経験値と理解者との切磋琢磨の積み重ね」で得られる果実のほうが大きいんじゃないかと思う。それが知らない演劇の魅力を体験できる一番の近道だと思うし、魅力を体感することが愛することに繋がる可能性ではないかしら。

他の人の持っていない強烈な魅力を持っている人は多いが、それを武器にする以前の問題で躓くことがほとんどだ。つまみぐいのように場所場所を渡り歩いても、それだけでは有意な経験にならない。覚悟を決めないと何も得られない。

え、一番て何かって。それを聞いちゃうあたりが甘い。なんでもいいんだよ。実力はもちろん、努力でもいいし、外してもいいし、爆発力でも突破力でも、深遠さでも軽佻さでも、コメディでもシリアスでも、頭使っても美しさでも、なんでもいいの。分析して競争のないとこに行くのだって立派なやりたかよ。

なんでもいいんだよ。本気で愛してれば。