ちょっとここまで書いてるブログエントリを観て呆れてしまった。このひと何様なんだろう。いや自分のことなんですけど。


「ダメな自分について、あるいは自戒を込めないで」
「答えのない問題の解き方」

について書きます。

熱くなって支離滅裂だわ、上から目線だわ、バカだ、と思った。これ多分何年かあと見返したら爆発しちゃうんだろうなと思った。でも恥はかかないと、と思うから残しておく。未来の私は過去の自分を恨め。

「自戒を込めて」というのはよく使われる言い回しだし、私もよく使ってた。今使わなくなった理由は、だって全部の文章に付けないといけなくなるじゃん、て思ったから。あらゆる教訓めいた文章は自戒である。だったらいちいち書かなくていい。

私が偉そうな物言いになっちゃうのも、実際他者を見下している部分があるんだけど、それだけじゃなくって、自分に向けての叱責という面もある。どちらの割合が多いかは、わたしゃ分からん。読んだ人が判断してくれ。

繰り返しこのブログにも書いているので、あらためて言うまでもないが、私はダメな人間なのだ。基本的には口ばっかり。良く寝るし、義務は果たさないし、責任逃れはするし、約束は忘れるし。やりたいことしかやらない。よく言えば人間らしい、悪く言えば無責任なのだ。世界は聖人君主だけで成り立ってない。私みたいなダメ人間の方がたくさんいる。だから、ダメ人間でもダメなりに、ちっとでもマシに生きられる、わずかづつでも成長していける、そのために自分に何が出来るかな、て考える。

いきなり高いハードルを超えるのではなく、山を登るように一歩一歩、一号一号、たまに道に迷って同じところに出たり、むしろもとより低いところに出ちゃってアチャーってなりながら、生きていくしかない。

だから、上からモノを言っていてもその程度の人間だというか、その程度の人間だから上から目線になっているので、賢明な紳士淑女の皆様方に置かれましては生暖かくお見守りください。そのままでいいと思ってないので、ちょっとづつ成長します。

でまあ、ここまでかいて本題というか、一番書きたいことは、人間はほとんどダメ人間だから、それ前提でいろいろ考えていこうよ、って思うよ。

誰かを糾弾するときって、相手がミスしない前提な気がするんだよね。でも自分のことを思ってみなよ、ミスしない自分なんて考えられないだろ。だったら、人の失敗も笑って許せないと嘘だろう。

正しい時に鬼の首を取ったように勝ち誇ると、友達減るよ。そんなひとと話したくないでしょ。でも、人間はダメだから、自分が正しい時は鬼になっちゃうんだよね。だから、正しい時ほど物の言い方、行動に気をつけたほうがいい。強いものは思いがけないことで弱いものを殺してしまう。

だから、誰かがミスっても大丈夫なようなシステムを作らないといけない。お互い許せる範囲のシステム。

そう考えると、原発っていうのはダメ人間が管理するには、笑って許せない部分が多すぎるよね。超人ならば扱えるだろうけど、超人はすごくすごく少ないんじゃないかな。また原発のまわりを超人100%にするのも難しいだろうな。

で、だから即時停止っていうのも、正論押し付けっていうか、じゃあ代替エネルギーで、火力の公害どうするのとか、ソーラーとか風力は実用まで10年20年かかるんじゃねとか、そういう話になってくるよね、社会はつながってるんだから。なにかを変化させたら、必ずどこかがしわ寄せを食らう。それが好転してラッキーってこともあるんだろうけど、悪化にせよ好転にせよ、一部を変えたらそれにつられて全体も変わっていくのだ。そういうふうに出来ているのだ。

そういう、答えのない問題に、ダメ人間がどう取り組むのか。そんなの私も知りません。これは思うに、知らない分からないものを協力して考えつづけるってことが、今のところ府に落ちる場所だと思う。

自分がダメなんだから、他の人もダメなことも許す寛容さ。ダメさを認める自由さ。ダメだと決めつけない平衡感覚。ダメどうし、まあダメじゃない人も含めてさ、あるいはダメポイントがズレてるから、ダメじゃない部分同士を組み合わせてみたりさ、いろんな意見やアイディアを戦わせて、ちょっとづつマシな意見にしていくのさ。ダメな人と人とが手をつないで、ダメじゃない社会がつくれたら、素敵よね。まあ難しいけどさ。

昨日生まれてきた、今生まれた、明日生まれてくる赤子のために、やることは「何でも反対」じゃないだろう。

自戒を込めてなんて、絶対書かないんだからねっ。