「私にできること、私たちにできることを、自分で考える、行動する」


東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様に、一日も早くあたたかい毎日が訪れることを願っております。
亡くなられた皆様のご冥福をお祈りしております。

あれから2週間が経つ。大地震、津波、そして原発事故。いまもまだ救助を待つ方々、物資不足に脅かされる方々、避難所で寒さに震えている方々がいる事を思うとやりきれない。一日も早く日常と呼べる日々を送れるように願いつつ、微力ながら行動を続けていこうと思う。

生命の危機ではなくても、水道、ガス、電気などのインフラが壊れていたり、食料、衛生用品などの生活必需品が手に入らない方々も、本当にたくさんいる。それも回復の目処がたっていない地域がたくさんある。

一方、隣人の窮状に、日本人はもとより、世界中から支援の手が差し伸べられている。日本人の現場力の高さ、忍耐力の強さ、節電などの協調力に驚嘆する。世界中からのメッセージと人的、金銭的支援に感動する。それらの情報を速度品質共に、わずかな工夫が必要なものの、得られるインターネットとTwitterを中心にしたソーシャルメディアの可能性に希望を持つ。

反面、日本人の統率者の弱さ、集団の利権癒着の構造、TVなどマスメディアの情報的影響的に劣化どころかしばしば害悪になる状況、そういった指導者や組織を見過ごしてきた、情報に振り回され買い占めなど右往左往する民度の地を這うばかりの低さに憤る。

これら美点と汚点は、こと日本国内での事においては、私たちの文化の裏表であり、良い点の根源は悪い点の原因に直接繋がっている気がする。これについてはこの先掘り下げて考る。

私が今の状況で、今回の当事者というと、被災者の方々は怒るだろうか。
日本人であれば、東北でも東京でも、関西でも九州でも、当事者だと言っていいと思う。
いま生きている我々は、いまここにある社会に対して責任がある。社会に対する当事者だ。

いままさに生命の危機にある人の役には立たないかもしれない。私は人の命を救う技能も、その技能を持つ人を雇用するだけの経済力も持たない。私は演出家である。思想家でも政治家でも社会学者でもないが、演劇という芸術を通じて、多少なりとも考えてきたこと、感じてきたこと、失敗してきたこと、成功してきたことの、経験がある。それによって社会に還元できることがあるように思う。ならば今の私がすることは、まずは演出家として社会で活動すること。そして、キーボードを叩いて自分が考え、思い、行動することを発信し、それによって社会が今より「生きやすい」世界になる手助けをすることだ。

傲慢だと笑うだろうか。笑えばいい。

今我々に必要なのは感傷と自重ではない、ましてや他者への攻撃ではない。必要なのは自由と責任、そして行動、それらに必ず寄り添わねばならない愛、だと思う。

「私にできること、私たちにできることを、自分で考える、行動する」

そんなことを考えながら、しばらくブログを書いていきます。