東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様に、一日も早くあたたかい毎日が訪れることを願っております。
亡くなられた皆様のご冥福をお祈りしております。

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あれから2週間が経つ。いまさらという気もするが、その時のことを振り返る。それを書かないと、3月11日以降に感じ、考えたたくさんのことを書けない。

2011年3月11日14時46分、私は東京、王子小劇場にいた。

私は劇場職員として、14時からの公演を観劇していた。
劇場が揺れる。天井に吊ってあるバトンがきしみ、そこに吊られている照明と照明がぶつかり合って音を立てる。明らかに異常事態だが、舞台の上では俳優たちにより上演が続けられている。終わる気配のない揺れに、当日制作スタッフが上演中止、避難誘導を始める。舞台上の演技は止まり、お客さまは係員の支持に従い整然と退場される。
幸い、舞台美術も照明、音響機材も、倒壊したり落下したりということはなかった。

私は、劇場職員として客席から上演を中止するべきだったのか、劇団制作スタッフの判断を待つべきだったのか、いまでも答えを出せずにいる。結果的に後者の選択をしたが、消極的にそうなったというだけにすぎない。劇場スタッフとしてその場にいる人間の安全を確保しなければいけない場合、震度などの数字目標は見られない中、どの程度で行動するべきだったのか。一生、この判断を考え続けると思う。

ホールから出て、即事務所に戻り、インターネットで情報を収集する。劇団制作スタッフと連絡を取り合い、善後策を協議する。当初は安全確認後の再開も検討したが、度重なる余震、交通機関の乱れなどを鑑み、1時間ほどして公演中止を決定。予定されていた夜の公演も、17時の時点で中止を決定。交通機関のない劇団関係者は、王子スタジオ1で稽古中の何人かとともに、王子小劇場に宿泊することとなった。

私は20時くらいまで劇場で情報収集にあたり、池袋でつけ麺を食べて帰宅した。明治通りは渋滞でいっぱい、歩道も徒歩で帰宅する人で見た事のない混雑。池袋の街は、落ち着いていたし、飲食店も普通に営業していた。



2011年3月11日以降、日本は変わった。これから先のことを中心に、この2週間で考えたことをブログに書いていこうと思う。