時間堂の企画書やら団体概要やらを作っていたら、2004年に書いたものが出てきたので、さらしあげます。最後の方に書いてある2008年の自分たち像が切ない。ごめんね5年前の私、いまそんな感じにはなってないよ。




黒澤世莉と演劇。演劇ユニット時間堂団体概要にかえて。


●はじめに
・なんとなく、をはっきりわかってもらう
この文章は、2004年5月に、時間堂の団体概要を考えているところから書くに至った。団体概要をつくる作業に大変頭を悩ませてしまった。というのは、いままで時間堂なり演劇なりを、「なんとなく」やっていたからだ。やりたいことがなんとなくなのだから、なんとなくでもいいのだけど、演劇をつづけ多くの人を巻き込み、それで成功したいのならば、そのなんとなくを自分以外の人にも分かるようにしないといけないと思った。そしてそもそも時間堂の堂主である自分は、なにを求めているのかをまず明確にしようと思った。
この文章は現在の黒澤世莉と時間堂の考えで、理解していただけたら嬉しいし、一緒により良いものをつくっていく上でプラスになると思う。


●なぜ演劇?
わたしにとっては演劇をしていることが普通であるし、日常だから。

なぜ演劇をはじめたの?
という問いかけに答えるのは難しい。
別に感動的な作品に感化されたことがあるわけではないし、もちろんお金が儲かるわけでもない。
はじめて演劇らしきことをしたのは、小学生のとき、母親に連れられたオーディションの場であろうと思う。その後学芸会でも演劇を選び、中学生になったときには「演劇をやろう」とごく自然に思い、演劇部に入った。動機はそのころから希薄で、いまも変わっていない。たんにもっとも身近でやりたかったことなのだろうと思う。

演劇が好きなの?
と問われたら、もちろん好きだ。だがそれは、たとえば恋人やコーヒーや本に対しての思いとはちょっと違っている。いわば、水のような空気のようなもので、好きと言うよりは必要である、そばにあるのが自然だと言った方がしっくりくる。好きだから続けていると言うより、わたしにとっては演劇をしていることが普通であるし、日常なのだ。

だから、興味がなくなったらやめると思う。けれどもそれは、水や空気が必要でなくなったら、というような意味のない仮定かもしれない。ただ一生懸命好きだから続けているんです、というのとは明らかに違うし、そんなふうに演劇と関わるのは、わたしにとっては気持ちの悪いことだし、演劇の魅力を損なってしまう気がする。

演劇を通じて、ただそこにあるものを受け入れ、楽しみ、ひとびとや空間の本質的な素敵さを取り出せたらいいと思う。


●どんな演劇?
まず嫌いな演劇を箇条書きにしてみよう。
・過激、熱狂的
・意味なく叫ぶ
・意味なく踊る
・意味なく音楽がなる
・意味なく照明がきらきらする
・そのほか意味なく煙が出たり映像がでたりなにか降ってきたり等の特殊効果がある
・きちんとお客さんに向かって話す
・メッセージが押しつけがましい
・おおげさ
・ださい
・暗転が多い
・物語がない
・ひとびとの関係性がない

 してみると、こんな演劇が好きで、つくりたいと思う。
・雰囲気が良い
・意味なく叫んだり踊ったり音楽がなったり照明がきらきらしたり特殊効果があったりしない
・演技と日常の行為の境目がない
・趣味が良い
・暗転がない
・おくゆかしい
・物語とひとびとの関係性がある


●黒澤世莉について
1976年9月1日うまれ。乙女座。A型。東京出身。
高校卒業後、スタニスラフスキー・システム、サンフォード・マイズナー・システムなどのワークショップに参加しながら、俳優として多数の舞台に参加。
1997年、演劇ユニット時間堂をつくり、同名義で現在までに9本の作品を発表。9本の作品の演出、3本の作品の構成、5本の作品の劇作を担当。またワークショップを企画し、多くの俳優や演出家、また一般の方との交流を広げている。
2002年4月、オーストラリアに留学、現地のワークショップやオーディション、自主映画に俳優として参加。2002年12月帰国。時間堂としての活動を再開。
また、俳優としても他団体にて多数の舞台、映像作品に参加している。


●視点
わたしは、ひとにとても興味があって、そのひとの本質を知りたいと思う。普通ひとはその本質を証す事なんてなく、会話や観察によってそのヒントがちらばっているだけだ。それを自分で再構成して、どうにかそのひとの本質であろうものをとらえてみる。それはもちろんわたしの個人的な決めつけでしかないけれど、それでいいのだとおもう。決めつけ以上にひとを理解できるわけはないし、決めつけでないと思ってしまったらそれこそ横暴だ。

だから演劇をつくる時も、わたしが決めつけた世界の本質を、描こうと思う。そして決めつける以上、自分の考えや行動には責任を負おう。結果出来上がった世界が、お客さまにとって心地よいものであればこんなに嬉しいことはない。あるいは、あるひとにはまったく受け入れがたいものかもしれないし、それはとても残念だけれど仕方がないことだ。


●要素と興味
演劇は演技、戯曲、演出、照明、音響、舞台美術、衣装、メイク、特殊効果そのほかもろもろの要素が複雑に絡まり合って出来ている。順位を付けるとすれば、わたしが興味があるのは演技と戯曲だ。極端な話、このふたつ以外はどうでも良いとさえ思っている。演出はこの際、興味を達成するための手段だから脇へ置く。


●演技
・心地よい雰囲気を求めて
心地よい雰囲気を、他の要素の力を借りず、俳優の関係性によって生む。
何人かが関係することで、お互いに良い影響を与えあい、そこに観客の存在も受け入れて、空間に言葉で言い表せない心地よい雰囲気を満たしていく。

・何もない空間でも
関係性を豊かにするために、ひとりひとりがきちんと存在する。
何もない空間でも、観客の五感すべてを納得させられる存在が理想。そこが夏の浜辺で、日がギラギラしていて、暑くて、焼きトウモロコシのにおいがして、砂が吹き付けられてきて、まぶしくって、彼女に振られたばかりだと、ただひとり立っているだけわかってしまう存在感。
実際はそこに至るまでに遠い道のりがあるわけだが、目指すべき地点は明確。

・リラックスと集中と
まずそこに存在するために、リラックスと集中をしていく。この二つは同義と考える。
そして自分の体と心の状態を、観察し、理解する。共演者の体と心の状態を、観察し、理解する。
台詞を頭ではなく、身体で記憶する。
時間を守り、信頼関係をつくる。
演技を楽しむ。


●戯曲
より良い演技を引き出すためには、物語の力が必要だ。
またより良い物語を産み出すためには、演技の力が必要なわけだが。

・素敵な物語
関係性と事件性のバランスによって成立する。
物語は、関係性がなければ固くなるし、事件性がなければ退屈になる。

・おしつけはいらない
政治、宗教はもちろん、いかなる主張もしない。すくなくとも声高には。
自己主張の強い演劇は気持ちが悪い。

・物語から出演者を決める
新作の場合、可能な限り台本を完成させてから出演依頼をしている。
戯曲を読んでいただいて、気に入っていただけたら出演していただく。
きちんとした物語をつくるために。

・既成と新作
本当に面白いものは時代を超えて不変である。そのときにやるべき作品だと思ったら、岸田國士の名作でも、自分の書いた新作でも、関係なく選ぶ。

・黒澤世莉の戯曲の世界
観終わった時に、人生もそんなに悪くないよね、と心地よい雰囲気を味わってもらいたい。
ひとはやさしくて残酷だ。たいくつで面白い。強く願ったことがかなうとは限らない。と思えば、予期せぬよろこびだってある。物語は小さな事件の積み重ねだ。
ただひとがそこに存在するだけで、特別なことはなにもせずにいるのに、お客さまの心を動かしたい。


●そのほかの要素について
・テーマは気の抜けたおしゃれあるいは心地よい雰囲気
すべて趣味を良くまとめ、心地よい雰囲気づくりを助ける。
無駄なものは意図的に引いていく。必要でないもの、不自然なもの、あってもな
くてもいいものは使わない、というふうに。
必要なものでさえ、本当に必要かどうかよく考え、引けるものなら引いてしまう。
引くことによって生まれる、いさぎよさ、簡素さ、わびさびのようなものが魅力
になる。

・照明
その場所にあるであろう自然光と人工光と、ものがきちんと見えることが重要。
おおげさな色、形、効果、変化はつかわない。

・音響
その場で起こるべき音の他はつかわない。
可能な限り生音、その場にある楽器の音などが美しい。
またラジカセやラジオから音がするのは許せる。

・衣装
力は抜けているけどおしゃれ。
気合い全開や、あんまりに日常から突飛なもの、また着るひとの性格にあわないものは却下。

・舞台美術・小道具
理想は、戯曲の舞台になっている場所での公演が望ましい。
病院なら病院、画廊なら画廊、喫茶店なら喫茶店、国会なら国会。
そうはいっても無理はあるので、劇場などでの公演の際は、出来るだけ無駄を省き、また作り物よりも本物をそろえる。

・きえもの
舞台の上で食べ物、飲み物をとるのは、だいたい全部の公演でやっている。
実際の食べ物のにおいがして、それを出演者が食べたら、説得力があるし、観ているだけで面白いから。次は何を食べさせようか、と考えるのはとても楽しい。

・飲み物のサービス
心地よい雰囲気の中で楽しんでいただくために、お客さまにお飲み物を提供したい。
イギリスやオーストラリアの小劇場では、パブと劇場は併設されているものだし、日本だって大きな劇場では飲み物を楽しめる。
もっと気楽に演劇を楽しんで欲しいと思う。


●劇団でない理由
・もっともやりたい物語をやるために
各公演ごとに、まず戯曲を用意している。
物語にとって最適な出演者を選べるから。
劇団員のことを考えながら戯曲を選ぶのは本末転倒だ。

・外へ向かって
恐ろしいのは、集団が内へ向かって閉じていくこと。
劇団の利点として、方法論が確立できる、相互理解が深まる、という部分がある。
けれどもわたしは人間が小さいので、劇団にしてイエスマンを並べて、勘違いしたまま気持ちよくなって小さくまとまってしまうのが恐ろしい。
プロデュース制でも、ワークショップを重ねることで、相互理解、方法論への理解を深められる。そしてつねに新しいひとびとと共同作業をする利点、新しい視点の導入や、お互いの言語のすりあわせによって生じる方法論の見直し、成長を期待している。


●公演の頻度
力が足りていないことが一番分かっているのは自分だ。
演劇の実力をつけるためにもっとも効果的なのは、公演を重ねることだ。
時間堂は2001年まで、年に1本のペースでお芝居をつくってきた。結果、年に1本にして自己満足的に力を注いでも、わたしの場合は効果が薄いことが分かった。
2003年9月に活動を再開してから、2004年は年6本(2004年5月現在3公演を終了)、2005年は4本を予定している。
公演を重ねることによって、より自分たちの求める公演の質を上げていき、かつ顧客を増やしていこうと思う。むこう2007年までは年4本以上の頻度で公演を重ねていこうと思う。それが向いている。
なにより、演劇やっていますといって、次の公演予定もないようじゃ恥ずかしい。
演劇でお金が儲かっているわけでない以上、せめて定期的な公演予定くらいはあって、はじめて「演劇をやっています」という言葉を後ろめたさなく言える。


●今後の目標
作品の本質を変えずに、質を上げていきたい。
2005年に動員を1,000人にのばしたい。できれば100人の劇場で12ステージ、などが望ましい。また2005年と6年には、各種フェスティバルへも積極的に参加する。
2007年までに3,000人のお客さまを、同じく100人規模の劇場のロングランで動員できればと思う。
2008年を目処に、海外の演劇祭、エジンバラやアヴィニョン、メルボルンのフリンジフェスに参加したいと思っている。