ほぼ週刊ハンサム部

Director Seri Kuroawa's blog / 演出家 黒澤世莉のブログ

August 2011

ジャン=クロード・カリエール「マハーバーラタ

面白かった。インドの神様とか、神話の人間たち、もうメチャクチャ。
3時間x3幕で、通し公演9時間。

多神教の国の日本人としては、こういうの日本の神話でできないかなあと思った次第。

ハリウッドの反逆」エリック・ベントリー

これも面白かった。ちょうどアーサー・ミラー自伝とかリリアン・ヘルマンとか、読んだ後だったのもあって、1920年から30年を舞台にしたものを摂取した後だったし、興味深さもひとしお。

20世紀アメリカで、マッカーシズム吹き荒れる中、実在した資料を編纂し戯曲の形式に仕立てた作品。
今では共産主義やマッカーシズム、非米活動委員会という言葉にピンと来ない人も多いかなと思うけど、サラっとでも背景が分かったら面白いのよ。

すげー簡単に言うと
「第2次世界大戦が終わってアメリカとソ連が案の定超ケンカ状態になって、冷戦ね、でアメリカでは第二次大戦前から共産主義ってイケテね?ていう流れとマジ無いわ共産主義っていう流れがあって、でいろいろあって『ほんと共産主義者、社会的に抹殺しますww、就職とかあきらめてwww、ちょっと怪しい奴も覚悟しろwwww』みたいになってアメリカオワタ」みたいな時代だったのね。

その非米活動委員会での、ハリウッドセレブ達の言動が面白いの。作者の意図のあるられるの仕方で、人間のいろんな面が浮き彫りになる。

物語としては弱いかもしれないけど、人間を多面的に描いているので面白い。


ヒザイ推薦で「コペンハーゲン」を借りたよ。たまたま図書館で「デモクラシー」も借りてたので、同時に読んだ。面白かったなあ。新国立劇場でやった公演も評判だった「コペンハーゲン」の方が、より好みにあった。

「コペンハーゲン」
男2女1の三人芝居。
物理学者ボーアとハイデルベルクを巡る、ナチスドイツの兵器開発にまつわる物語。
不確定性原理を暗喩に「自分が何をしているのか、誰にも分からない」ことを静かに訴えかける。

マイケル・フレインの軽妙で皮肉っぽい語り口に、小田島訳がよく合っている。
軽くサクサク読める部分でリズムができるので、論理的で難解な部分も飲み込みやすい。
鮮やかな伏線の貼り方といい、間口の広さと奥行きの深さといい、大変良く出来た戯曲。

構造としてはアーサー・ミラーの「転落の後で」を思い起こさせる。
現実の存在ではないものが過去を回想する、時間軸がゆれるところがそう思わせるのかしら。
「転落~」と比べ、短い台詞が中心となっている所が時代が進んだんだなと感じさせる。

科学者同士の理屈っぽいところの微笑ましさはデイビッド・オーバンの「Proof」を思い起こさせる。
やー、いつかやってみたいなあ。

「デモクラシー」
マイケル・フレインの名作戯曲。男だらけの政治とスパイの話。
20世紀半ば、ナチスドイツの時代から立ち直りつつある西ドイツで、40年ぶりに社会党の首相となったヴィリー・ブラントと、その秘書で東ドイツスパイのギョームの物語。

「コペンハーゲン」と同じく史実を元にした戯曲。
政治を、それも稀代の偉業を成し遂げて、後のベルリンの壁崩壊に繋がる楔を打った政治家の首相時代をモチーフにしているので、ドラマチックであることは間違いない。
人民に対して博愛だが、親しい人を愛せないブラントという人物造形が秀逸。

2011年8月の日本では、菅首相に辞めろ辞めろと言い募るマスメディアやソーシャルメディアの声を連日飽きるほど聞いている。
去年も鳩山さんに、その前も麻生さんやら福田さんやら、まあ小泉さん以降誰に対してもそうだった。
次の首相も、敵対政党やマスやソーシャル、挙句の果ては味方の政党から批判されて1年でやめるだろう。

政治家はいつの時代も、偉大なことをやっては叩かれ、愚かなことをしては叩かれ、大変だなと思った。

***

マイケル・フレインは、チェーホフの訳をやってる。そのまた訳した上演を見たことがあるんだけど、それはあんまり感心しなかった。まあ孫訳なんだからね、とその時は思っていたのだけど、印象は良くなかった。もう完全に印象が変わって、大好きになったよ。

どっちも面白いです。




あと、どっちも後書きが長すぎる。いや面白いからいいんだけど。

時間堂「演技:集中クラス」10日間30時間のプログラム、無事終了いたしました。最終日も楽しかったです。

演劇のワークショップが面白いのは、たびたび公演よりも面白いのは、「出来ない」ことと「出来る」ことの間に越えられない壁があって、それを越えようとする行為が美しいからだと思う。

身体から発想されたディティールは雄弁で、シーンの密度がどんどん濃くなっていくんですよね。

10回のプログラムは、1回よりも深いところまでいけるので、好きです。1回だと参加者の気づきの量はともかく、こちら側から見たはじめとおわりの変化の幅が少ないもの。10回あると、12人いれば12人、間違いなくガラリと変わる。それは間違いない。それがその人の血肉になるかどうかは、また別の話、現実的に言っちゃうとね。

はじまる前が一番緊張する。何回やってもね、うまくいくかしらとか、役に立てるかしらとか、どう進行したらもっといいクラスになるかしらとか。クラス後半はやることがはっきりするので、一所懸命やるだけで、楽しかったです。

暑い夏を余計に暑苦しく過ごしてくれたみなさま、ありがとうございました。

そんで今月は、あと2回時間堂WSありますよ。鈴木浩司の20(土) 「ふつうのひと演劇でリフレッシュクラス」と伊藤靖浩さん22(月)「俳優のための合唱ワークショップ」くわしくい情報は時間堂ブログでどうぞっ

そして間髪入れず本日、時間堂12月公演のっ、初稽古っ。ギャー楽しみすぎてゾワゾワする。木下祐子x山田宏平とか、荒井志郎x〇〇〇〇まだ公開できねえやとか、お楽しみに、オレ。

ソビエト現代劇集 (1981年)

これまた面白かった。このとき北区中央図書館から借りた戯曲はあたり続きだった。やるな北区中央図書館。

うわさのブルガーコフ、やはり面白い。

もちろん教条主義的、啓蒙的な匂いも感じるけど、それは本質ではないと思う。ドラマはどんな社会のものとで生まれうる。

共産主義に対して苛烈な抵抗を示してた時代の作品を多く読んでいた(ハリウッドの反逆とかアーサー・ミラー自伝とか)ので、価値観全体がぐるりんと逆の視点に移される感じは、爽快でもあり、気持ち悪くもあって、車酔いみたいな気分になった。

フラッティ戯曲集」マリオ・フラッティ

面白い。珠玉の4作品。ぜひ他の作品も読んでみたい。
イタリア人だけどニューヨーク生活が長いようで、現代アメリカにうっすらカトリックの味わいが感じられる。

「橋」はストップ自殺モノ(そんなジャンルないけど)で、類型としてはよくある話なんだけど、ディティールが秀逸。こういう、一般的なモチーフにこそ作家の味が滲みでると思ってるので、しびれた。

マリオ・フラッティ自身は他にも書いているようだけど、日本語訳されているものは少なそう。イタリア語じゃなかったことが救いかしらね。



リリアン・ヘルマンの最初の戯曲。良くできたストレートなドラマで、好みに合っていて面白かった。

怪物のような、でも実は普通の子供が、アーサー・ミラー「るつぼ」と重なって読める。問題は子供の暴走だけではなく、その嘘を見抜けない大人にもある。けれど愛や守護の義務を負うとき、はたして子供の嘘を見抜けるかというと、困難だろう。さすが、よく出来てる。

最近読んでいる戯曲群が男性中心、女性少なめなので、男性一人っていうのが新鮮に思えた。あと女は怖いと思った。

リリアン・ヘルマンはこれが初めてだったけど、引き続き読んでいきたい。

アゴタ・クリストフが2011年7月26日に亡くなった。この訃報と前後して、小松左京、レイハラカミ、伊良部秀輝も亡くなった。

アゴタ・クリストフは「悪童日記」で有名な亡命ハンガリー人作家で、読書好きには有名。もういい年だとわかっていたし、新作がバンバン出る作家でもなかったし、それほど興味があると思ってなかったんだけど、亡くなったと聞いて、他のいろんな訃報があるにも関わらず、彼女のことばかり気になった。どうやら好きだったみたい。




というわけで戯曲集「怪物」と「伝染病」を読んだ。それぞれ5編、4編の短編戯曲が収められている。戯曲は小説とは違って、不条理や、現実から浮遊したようなものが多い。書かれた年代としては70年代から80年代で、悪童日記よりだいぶん前になる。

「怪物」と「贖い」「ジョンとジョー」「星々を怖れよ」はもともと好きで、相変わらずいいなあと思って読んだ。「エレベーターの鍵」はゾッとするというか、こういうの苦手で気持ち悪くなってしまう。昔はあまりピンと来なかった「道路」「鼠が通る」「伝染病」「灰色の女あるいは最後の客」も、新しい発見があって、面白く読めた。

とくに「怪物」は、未知の怪物と原始的な部族の物語で、もともと好きだったのだけど、いま読むと非常に身につまされる。以前は怪物を政治的、文明的な文脈で怪物を捉えたけど、いまとなっては原発としか思えない。しかも劇中での怪物は突然現れているが、現実の怪物は人間が自らつくり出してしまったのだ。あまり書くとネタバレになってしまうので、このへんで。

いま上演するなら「怪物」しかない。

翻訳をされてる堀茂樹さんがTwitterにいらっしゃいますよ。
http://twitter.com/hori_shigeki

「悪童日記」を翻訳して出版社に直接持ち込んで出版に漕ぎ着けた方です。いま日本語でアゴタ・クリストフの作品群が読めるのは堀さんのおかげです。しかも、戯曲集は(後書きによれば、なので今は違うかもしれませんが)フランス語でも発売されてないそうなので、日本語でしか出版されてないそうです。ウッヒャーそんなことあるの、て感じですよね。堀さん、ありがとうございます。

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