ほぼ週刊ハンサム部

Director Seri Kuroawa's blog / 演出家 黒澤世莉のブログ

December 2007

はじまりのはじまり、とか、
はじまりのおわり、とか、
おわりのはじまり、とか、
おわりのおわり、とかあるけども、

はじまるまえに、おわり。

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平仮名ばっかりだと読みづらい。
でも漢字使うと意味が限定されすぎちゃって、つまんない。

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自分の身に起こった望まない出来事を、あきらめて流されるしまうことがある。

私は、望まない出来事を、受け入れて選択し、乗り越えていきたい。

あきらめて流され続けると、「負け癖」がついてしまって、あんま楽しそうじゃないんだよね。しんどいことも受け入れる。苦しくてもダメそうでもやってみる。失敗したら良い経験だったと納得する。一通り泣いて、泣き疲れたら笑ってみる。

なんか不幸癖というか「私ってこういう星の下に産まれたから仕方ないのよね、耐えなきゃヨヨヨ」みたいなのが気持ち悪いってこと。悲劇のヒーローヒロイン傾向って多くって、辟易、へきえき。これはつまり、出来事に対してきちんと向き合っていないと思うのね。想像力を放棄している。自分を幸せにする義務を怠り、安易な大人ぶった感覚に安寧としている。とかく不幸は甘美なもので、その感覚は一時的には媚薬になるけど中毒を起こすまで味わっちゃ、人生がやせるよ。注意注意。

受け入れがたいことが起きたときに、駄々こねろって言ってんじゃないですよ。受け入れ方の問題です。重要なのは、結果がどうだったのかではなく、結果をどう受け取るか、ではないかしら。自分が主体的に引き寄せたものだと受け取るか、他者からおしつけられたと受け取るか、なんじゃないかしら。

何が起きても自分以外のせいにしちゃうことと、あきらめてしまうことは、全然違うようでいて、とても似ている。

出来事と向かい合うことは、勇気がいる。今の自分と未来の自分に対して、幸福にする責任を負うのは、時としてあきらめるより苦しい。だけど、私がなりたいのは、「格好良いじいさん」であって、それは「ちゃんと生きつづける」ことでしかなれないし、そうしていれば必ずなれるんだろう、と思う。

仮面に張り付いた作り笑いではなく、自然とニコニコできる大人になりたいです。

取り返しのつかないような失敗は、できるだけ早くしておいた方が良い。

10代のうちにどんどん行動して、どんどん失敗するべきだ。
失敗を恐れるな。怖いのは分かるけど挑戦して。
挑戦を続けてほしい。途中で休んでも良いから。

30過ぎてからこけると、本当に取り返しがつかないことになる。
大人になってから取り返しがつかない失敗を避けられるようになるためには、若いうちに痛い目をいっぱい見ておいた方が良いのだ。

それでも、取り返しがつかないことなんて無いんだけど。
ただ痛い思いは若いうちに終わらせた方が、大人になってから「自分を幸せにしてあげるコツ」を掴みやすいと思う。

本当は自分は何がしたいのか、どうしたいのか、どうなりたいのか。一番大切なものは何か、実はそれほどでもないのは何か、こだわるべきものはなにか、手放すべきものは何か。

そういうのを後々気付いてしまうのは、本当につらい。

自分に正直に生きる。衝突はした方が良い、それで壊れるような関係はどうせ長続きしない。自分を偽って維持すべき関係なんて、短期の仕事の上で自覚的に持つ場合はともかく、長期的なパートナーシップにはありえない、っていうか苦しいだけで誰も得しない。

本当の動機を無視して何十年も生きてくると、自分の本心が分からなくなってしまって、そうなると気付いて変わるのがものすごく大変。出来るだけ早く自分で自分を理解してあげて、やりたいことをやる。最初は生きづらいけど、死ぬまで自分に自分に嘘をつくより、他人から誤解される方がよっぽどまし。

明日死んじゃうかもしれないんだから、ためらうことなく好きなものに愛情を注ごう。

自分を幸せに出来るのは自分だけだからね。

12:00に、ARROWSで髪を切る。

15:00に、あひるなんちゃら「未来ルルルルルルル」を観る。

20:00に、アルジェントASOで夕食。

2007年12月7日金曜日。興味深い一日。

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